Amazon Prime Videoで、映画「君の膵臓をたべたい」を視聴しました。
以前からタイトルは知っていたものの、「君の膵臓をたべたい」という少し不思議で印象的なタイトルから、どのような映画なのか気になっていた作品です。実際に見てみると、単純な恋愛映画や「病気を題材にした感動作品」というだけではなく、人との出会いによって、自分の生き方や考え方が変わっていく過程を描いた青春映画だと感じました。
※本記事では映画の内容および結末に触れています。未視聴の方はご注意ください。
映画「君の膵臓をたべたい」とは
「君の膵臓をたべたい」は、住野よるさんの同名小説を原作とした2017年公開の実写映画です。
主人公の「僕」を北村匠海さん、ヒロインの山内桜良を浜辺美波さんが演じています。そのほか、大友花恋さん、矢本悠馬さん、桜田通さん、上地雄輔さん、北川景子さん、小栗旬さんらが出演しています。
監督は月川翔さん。高校生の男女を中心とした青春の物語でありながら、物語は高校時代だけで完結せず、12年後の「僕」たちの姿も描かれています。
この現在と過去を行き来する構成によって、単に高校時代の出来事を振り返るだけではなく、ある人との出会いが、その後の人生にどれほど大きな影響を与えるのかを考えさせられる作品になっています。
「僕」と山内桜良という正反対の2人
物語の中心となるのは、「僕」と山内桜良です。
「僕」は、人との付き合いを避け、読書を好む高校生。クラスの中でも目立つ存在ではなく、自分から積極的に人間関係を築こうとするタイプでもありません。
一方、桜良はクラスの人気者です。明るく、人とのコミュニケーションも上手で、「僕」とはかなり対照的な性格をしています。
そんな2人が、桜良が膵臓の病気を患っていることを「僕」が知ったことをきっかけに、一緒に過ごすようになります。
普通なら交わることのなかったかもしれない2人が、限られた時間の中で一緒に過ごす。
この設定そのものは、青春映画としては比較的オーソドックスにも感じられます。しかし、実際に視聴してみると、桜良と「僕」の距離が少しずつ変化していく過程が、この映画の大きな魅力になっていると感じました。
浜辺美波さんが演じる山内桜良
この映画を語るうえで、浜辺美波さんが演じる山内桜良の存在は欠かせません。
桜良は、自分が重い病気を抱えていることを知りながらも、普段は非常に明るく振る舞っています。
もちろん病気に対する不安がないわけではありません。しかし、それを前面に出して周囲から同情されるような人物ではありません。
むしろ、自分の残された時間をどう過ごすのかを考えながら、友人と接し、「僕」ともさまざまな時間を過ごしていきます。
「死が近いからこそ、生きている時間をどう過ごすのか」という桜良の姿勢は、この映画の重要なポイントだと思います。
浜辺美波さんの明るさのある演技によって、桜良というキャラクターが単なる「余命わずかな少女」ではなく、一人の高校生として描かれている点も印象に残りました。
北村匠海さんが演じる「僕」の変化
もう一人の主人公である「僕」は、桜良とは正反対の性格です。
人と深く関わろうとせず、自分の世界の中で生きているような人物です。
ところが、桜良と出会ったことで、「僕」の日常が少しずつ変化していきます。
最初は桜良に振り回されているようにも見えます。しかし、一緒に時間を過ごすうちに、「僕」の中でも人との関わり方に対する考え方が変わっていきます。
この作品では桜良の病気に注目しがちですが、実は「僕がどのような人間になっていくのか」という成長も重要なテーマだと感じました。
映画を見て感じた「生きる」というテーマ
私がこの映画を視聴して特に印象に残ったのは、「生きる」ということについて考えさせられる作品だったことです。
私たちは普段、明日も普通に生活できることを当然のように考えています。
学校へ行ったり、仕事をしたり、家族や友人と話したり、好きなものを食べたりすることも、日常生活の中では特別なことではありません。
しかし、桜良は自分の人生に限りがあることを知っています。
だからこそ、何気ない日常の一つ一つが、私たちとは違った意味を持っているように感じられます。
「限られた時間をどう生きるのか」という問いは、桜良だけではなく、映画を見ている側にも向けられているように思いました。
タイトル「君の膵臓をたべたい」の意味
初めてタイトルを見たときには、「君の膵臓をたべたい」という言葉に驚いた人も多いのではないでしょうか。
私自身も、かなり強烈なタイトルだと感じました。
しかし、物語を見ていくと、この言葉は単純に文字通りの意味で使われているわけではないことが分かります。
この作品では、人間の身体や生命、そして誰かとつながることについて、独特な表現を使って描いています。
タイトルだけを見ると奇抜に感じますが、物語を最後まで見た後では、最初とは違った意味を持つ言葉として感じられるのではないでしょうか。
【ネタバレあり】物語の後半と結末について
ここからは、映画の結末に触れます。まだ「君の膵臓をたべたい」を見ていない方は、ここから先を読まずに、先に映画を視聴することをおすすめします。
この映画で大きな衝撃を受けるのは、桜良の死が単純に病気によって訪れるわけではないという展開です。
桜良は膵臓の病気によって余命を宣告されていました。しかし、彼女の人生は病気によって予定通り終わるわけではありません。
突然の出来事によって桜良が亡くなり、「僕」は大きな喪失を経験します。
ここは、この映画の中でも非常に印象的な部分でした。
「余命が限られている」という設定から、観客はある程度、桜良の死を予想します。しかし、実際の展開はその予想とは異なります。
そして、桜良が残した言葉や行動を通して、「僕」は彼女が自分の人生に残したものを改めて考えることになります。
12年後の「僕」が意味するもの
実写映画版では、高校時代から12年後の物語が描かれています。
大人になった「僕」は、桜良との思い出を抱えながら生きています。
高校時代には人との関わりを避けていた「僕」が、12年後には教師になっています。
この設定を見て、桜良との出会いが「僕」の人生を大きく変えたことが分かります。
桜良が亡くなった後も、彼女との時間は「僕」の中から消えていません。
人は亡くなった後も、残された人の人生の中で生き続けることがある。
映画の12年後の描写には、そうしたメッセージが込められているように感じました。
単なる「泣ける映画」ではない
「君の膵臓をたべたい」は、一般的には感動する映画、泣ける映画として紹介されることが多い作品です。
もちろん、桜良との別れを描く物語なので、感情を揺さぶられる場面はあります。
しかし、実際に視聴してみると、それだけではないと思いました。
この映画の本質は、誰かと出会い、その人と時間を共有することで、自分自身の考え方や人生が変わっていくことにあるのではないでしょうか。
桜良にとって「僕」と過ごした時間が意味を持ったように、「僕」にとっても桜良との出会いは、その後の人生を変える大きな出来事になっています。
映画「君の膵臓をたべたい」を見た感想
実際にAmazon Prime Videoで視聴して感じたのは、タイトルから想像していた以上に、「人との出会い」と「人生の時間」について考えさせられる映画だったということです。
特に印象に残ったのは、桜良と「僕」が特別な関係になっていく過程です。
2人は最初から恋人同士というわけではありません。むしろ性格は正反対です。
それでも、一緒に過ごす時間が増えることで、お互いの存在が少しずつ大きくなっていきます。
そして、桜良との出会いによって「僕」の人生そのものが変化していきます。
この部分を考えると、この映画は「死についての映画」であると同時に、「どう生きるか」を考える映画でもあると思います。
誰かと出会ったことで、それまでの自分とは違う考え方ができるようになる。誰かと過ごした時間が、その人がいなくなった後も自分の中に残り続ける。
そう考えると、「君の膵臓をたべたい」というタイトルも、映画を見終わった後には最初とは違った印象を受けます。
まとめ
映画「君の膵臓をたべたい」は、住野よるさんの小説を原作に、浜辺美波さんと北村匠海さんが高校生の桜良と「僕」を演じた青春映画です。
病気を抱えた少女と、他人との関わりを避けていた少年という対照的な2人が出会い、限られた時間を一緒に過ごすことで、お互いの人生に大きな影響を与えていきます。
そして、実写映画版では12年後の「僕」たちも描かれることで、桜良が亡くなった後も彼女との出会いが「僕」の人生に残り続けていることが分かります。
「君の膵臓をたべたい」は、死を描きながらも、最終的には「生きること」や「人と出会うこと」の意味を考えさせてくれる作品でした。
Amazon Prime Videoで映画を探している方、浜辺美波さんや北村匠海さんの出演作品に興味がある方、青春映画や感動映画が好きな方には、一度見てほしい作品です。
特に、映画を見終わった後に「自分にとって大切な人との時間とは何なのか」「これからどのように生きていきたいのか」を少し考えてみると、この作品をより深く味わえるのではないかと思います。

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